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■「最新ニュース」で古くなったものから順番に、こちらでアーカイブします。

 

 

■2022年9月17日のニュース

 

大田こども劇場 シリーズ 「 竹田恵子さんの歌♪を聴く(2) 」
〜ドイツ歌曲(林光・訳)をうたう〜

 

当日のプログラムは下記の通りです。

 

■W.A.モーツァルト/作曲 (1756-1791)

 

◎春へのあこがれ (1791)   A.オーフェルベック/詩  
*モーツァルトは次第にリートを書かなくなったが、最後の年に書かれたリート作品(3曲)のうちの最初の1曲。この主題は先立つ「ピアノ協奏曲変ロ長調」のフィナーレのロンドとしても用いられている。

 

◎すみれ(1785)   W.ゲーテ/詩
*モーツァルトがゲーテ詩と知らずに付けたといわれるただひとつの曲。同じ旋律を何度も繰り返す「有節歌曲」ではなく、各節ごとに異なった旋律をつけ、詩の内容の発展を表す「通作歌曲」の形式により、すみれと羊飼いの娘の対比があざやかに描かれている。   

 

■F.シューベルト/作曲 (1797-1828)

 

◎糸をつむぐグレートヒェン (1814)  W.ゲーテ/詩   
*ゲーテの戯曲「ファウスト」から。17歳のシューベルトによるゲーテ詩の最初の作曲。この曲をもって<ドイツ・リート>の誕生日と呼ぶこともある。糸車のゆらぎ、あるいは変速する回転のように、狂おしく心が乱れて、来なくなったファウストを想うグレートヒェンの独白は、まるでオペラのようだともいわれる。

 

◎魔王(1815)   W.ゲーテ/詩   
*馬の疾駆する様を写した3連符の緊迫感から始まり、音楽は登場人物を的確に描きわけ、劇的効果は歌による心理劇ともいわれる。ところが50歳近く歳の差があるゲーテはこうした付曲を好まず、シューベルトが贈った楽譜を一見もしなかったらしい。しかし1830年に再び女性歌手デフーリントの「魔王」を聴いて、感激のあまりデフーリントの額にキスをし「すばらしい!以前はあまり気に入らなかったが一部始終がまるで目にみえるようだ」と言ったといわれている。だがその2年前にシューベルトはこの評価を知ることなく世を去っている。

 

◎あれののばら (1815)   W.ゲーテ/詩 
*映画「未完成交響曲」ではシューベルトが授業中に生徒を放り出して作ったことになっているが、これはフィクションらしい。この詩にはさまざまな作曲家が150以上の作曲を試みている。

 

◎ます (1817)  D.シューバルト/詩
*清流や魚影、そして釣師の心をドラマチックに表現するピアノ・パートが出色。1819年にはピアノ5重奏曲イ長調「ます」第4楽章の変奏曲主題に用いられ、いっそう有名になった。

 

◎水の上でうたう (1823)   F.L.G.シュトルベルク/詩
*夕暮れのおそらく湖での舟遊び。8分の6拍子が「舟歌」のリズムを思わせる。水面に揺れる舟と、その波間に反射し輝く陽の光が、時とともに趣を変えていく。

 

★歌曲集「美しき水車小屋の娘」より W.ミュラー/詩

 

◎たび (第1曲)
◎どこへ (第2曲)
◎粉屋の花 (第9曲)
◎小川の子守唄 (第20曲)

 

 (  休 憩 15分  )

 

★歌曲集「冬の旅」より W.ミュラー/詩
◎おやすみ (第1曲)
◎春の夢 (第11曲)  

 

★歌曲集「白鳥の歌」より  3人の詩人のうち、以下はL.レルシュタープ/詩
◎恋の飛脚 (第1曲)
◎わかれ (第7曲)  

 

■R.シューマン/作曲 (1810-1856)

 

ピアノ独奏/井口真由子
★ピアノ曲集「子供の情景」から  
「見知らぬ国々と人々」
「珍しいお話」
「鬼ごっこ」
「おねだりする子供」
「みちたりた幸福」
「重大な出来事」
「夢」
「子供は眠る」
「詩人は語る」
*1938年に完成。ドイツ文学に傾倒していたシューマンらしいメルヘン集のような作品集。シューマンは約30曲の小品を書いた中から12曲を選び「子供の情景」と名付けたと言っているが、実際にまとめられたのは13曲。終曲の「詩人は語る」は、当初の30曲のなかに含まれていなかった。今回はそのうちの9曲。

 

★歌曲集「詩人の恋」より H.ハイネ/詩
◎美しい五月 (第1曲) 
◎ぼくの涙が (第2曲) 
◎ばらも鳩も (第3曲) 
◎きみの目を (第4曲) 
◎ぼくの胸の傷を (第8曲) 
◎ほくは夢で (第13曲) 

 

★「子供のための歌のアルバム」より
 ドイツの「マザーグス」ともいわれる「子供の不思議な角笛」から
◎てんとう虫 (1849)
*ドイツ・ロマン派のふたりの詩人アルニムとブレンターノ編の伝承童謡集「子供の不思議な角笛」からの一篇。

 

■【美しき水車小屋の娘】 Die schone Mullerin
シューベルトの連作歌曲集。『冬の旅』『白鳥の歌』と並ぶ彼の三大歌曲集の一つ。1823年5月から11月にかけて作曲された。全体はW.ミュラーの詩による20曲からなる。遍歴する水車屋の職人が美しい娘に恋をし、娘の心がわりのために小川に身を投じてしまう。『冬の旅』に比べて<有節歌曲>が多く、同一の調性と拍子を用いて各曲間の統一もはかられ、<小川>の象徴として16分♪のモティーフがしばしば出現するなかで、水車の動きなど描写音楽の手法が効果的に用いられている。留守だった友人の家でふと目にしたミュラーの「旅のワルトホルン吹きの遺稿からの詩集」を持ち帰ったことでこの作品が生まれ、友人が翌日訪ねると、すでに3曲が作曲されていたという。

 

 

■【冬の旅】 Winterreise
シューベルトが1827年に作曲した24曲からなる連作歌曲集。前作と同じくミュラーの詩に作曲されたこの歌曲集は、恋に破れた若者が旅する心象風景を主題とし、現実と虚構の間を彷徨(ほうこう)する若者の心理が、一こまずつ現れては消えるかのように描かれている。全体が暗く、絶望的な雰囲気に覆われている。シューベルトはすでに病魔に打ちのめされ、貧窮・人間関係の不和など、死の前年の作曲者を取り巻いていたさまざまな苦しみがこの作品に反映しているといわれる。音楽的には、「有節歌曲」がはなはだしく数が減っており、代わりに柔軟自在な旋律とピアノ伴奏の著しい充実ぶりが特徴としてあげられる。とりわけ複雑な心理描写を可能にした伴奏部に対する評価は高く、ドイツ・ロマン派の歌曲における伴奏書法に多大な影響を及ぼした。

 

■【白鳥の歌】 Schwanengesang
シューベルトが1828年の生涯の最後の年に作曲した
14の歌曲(レルシュタープの詩7曲、ハイネの詩6曲、ザイドルーの詩1曲)を、連作歌曲集としてではなく、彼の死の半年後にウィーンの出版社がまとめて公にしたもの。編纂も題名もこの出版社による。そのこともあり、一方には音楽の言葉への強い傾斜、密着があり、一方には洗練され尽くした明解簡素な音楽的表出がある。

 

■【詩人の恋】 Dichterliebe
シューマン作曲の連作歌曲集。彼が集中的に歌曲に取り組んだ「歌の年」とも呼ばれる1840年に書かれたこの歌曲集は、彼の創作活動の最高峰をなすばかりでなく、ドイツ・ロマン派歌曲の代表的作品として評価されている。歌詞はハイネの詩集『歌の本』のなかの「抒情的挿話」から。全体は16曲からなり、その多くは規模が小さいがピアノの伴奏がそこに加わるとき、歌詞の微妙な情感が見事なまでに息づく。民謡を思わせる有節形式(詩の各節を同一の旋律で歌う)で書かれた素朴な歌の旋律に、ピアノが調性の不安定な分散和音で背景をつくる第1曲(「美しい五月」*題名・林訳)などはそのよい例である。のちに妻となったクララとの体験も反映しているものと思われる。

 

 

 

■2022年9月17日のニュース

 

トップページを更新するため、前回のトップページを記録として下記にコピーしました。

 

大田こども劇場 シリーズ 「 竹田恵子さんの歌を聴く(1) 」  
「林光ソングをうたい継ぐ(総集編)」を無事終えました!

 

 

 

(写真/姫田蘭)

 

■大田こども劇場主催のシリーズ「竹田恵子さんの歌♪を聴く(1)〜林光ソングをうたい継ぐ(総集編)〜コンサートを6月17日に大田区民プラザ・小ホールで行いました。
(写真を上下に3点アップしました。)
プログラムのなかから、
5曲をあらたに「YouTube配信」メニューにアップしました。
私家版ですが「LIVE・DVD」にもご興味があれば、「お問い合わせ・ご感想及びチケット・DVDのお申込み」メニューからお申込みください。
また7/1付の「最新ニュース」にこの件に関する記事を掲載しましたので、お読みください。
なお当コンサートの「当日のプログラム」6/18付「最新ニュース」に掲載しています。

 

 

 

■2022年7月1日のニュース

 

「YouTube配信」にあらたに5曲をアップしました。

 

■当日のプログラムに次のように書きました。
「四つの夕暮の歌」は、「ソング」ではなく「歌曲」なのでシリーズでは取り上げなかったのですが、今回どうしても歌いたいと思いました。
 1974年、練馬区の桜台にあった古い農家の一軒家。天井の太い梁と畳敷きのその場所がこんにゃく座の稽古場で、光さんの前で初めて歌ったうたが、この曲でした。私にとっての光さんとの「協同作業」のはじまりとも言えます。光さんはその少し前にこんにゃく座の座付き作曲家を宣言していたのですが、これがほんとうの意味で私たち座員との“初めて”の出会いとなりました。私のうたの世界を大きく拡げた日。それから後の、走りつづけた日々。それゆえ2012年の突然の別れはとても辛く、私だけでなく、多くの人にとってどれだけ大きな喪失だったか。
でも「うた」は残ります。「うた」は悲しみや苦しみのなかでも人々をつなげる「喜び」や「希望」でもあります。このシリーズを経て思うことは、直接的な抵抗の形にはみえなくても、光さんは変わらずずっと闘いつづけていたと思います。明るいうた、楽しいうたもまた、いまここにある「たたかい」なんだと。

 

今回の私の「四つの夕暮の歌」を聴いて、コンサートの直後に、ある人がこんな感想を寄せてくれました。
光さんとの「出会い」と「別れ」でこの曲を聴いてしまったせいか、いままでになく感情が切実で、まるで喪失の理不尽さに怒っているようだったと。特にそんな風に意識してはいなかったけれど、確かにいつもとは違った感覚に捉われていたかもしれません。そして考えてみると、4曲目の「死者の迎える夜のために」に登場する手をつなぐ子供たちとは、まるで光さんの書いた多くの楽曲のような気もしてきました。それが光さんから私たちに手渡された「喜び」や「希望」なんだとも。
ぜひお聴きいただき、感想などお寄せいただければ幸いです。
なお、今回も姫田蘭さんにお願いし「私家版DVD」を制作しました。
トールケース入りではありませんが、「林光ソングをうたい継ぐ(総集編)」の形でもあったため、ぜひLiveDVDを入手したいとの声もいただきました。
■ご希望の方は、「お問い合わせ・ご感想及びチケット・DVDのお申込み」メニューからお申し付けくださればお送りいたします。
よろしくお願いいたします。

 

 

 

■2022年6月18日のニュース

 

「トップページ」を更新しました。

昨日(6月17日)、大田こども劇場主催の「竹田恵子さんの歌を聴く(1)〜林光ソングをうたい継ぐ」を好評のうちに終えることができました。大田こども劇場はいつもとても度量が広くてありがたく、お客様もほとんどが大人の方だったため、今回は私の「林光ソングをうたい継ぐ」シリーズの「総集編」の形で、自由に曲目をプログラムさせていただきました。そのコンサートの写真をトップページに掲載しています。

 

当日のプログラムは次のとおりです。

 

■ハイダの子守唄 (2000)
 詩/北米先住民ハイダ族伝承詩より
 訳/金関寿夫 編曲/林光 
■この娘(こ)は摘みます野いばらを(子守唄) (2011)
 詩/北米先住民チムシアン族伝承詩より
 訳/金関寿夫 編曲/林光
■いわばしる (1992)
  詩/志貴皇子 (万葉集巻八)
■茨(うばら)こきの下にこそ (2001)
 詩/「梁塵秘抄」より
■ぼくがつきをみると (1976)
 「マザーグース」より
 訳/谷川俊太郎
■二月の街 (2000)
 詩/与謝野晶子
■初春 (2010)
 詩/与謝野晶子
■初夏 (1999)
 詩/与謝野晶子
■四つの夕暮の歌 (1959)
 T・夕暮れは大きな書物だ
 U・誰があかりを消すのだろう
 V・誰もいない隣の部屋で
 W・死者のむかえる夜のために
 詩/谷川俊太郎

 

 < 休 憩 >

 

■花のうた(1967)
 詩/佐藤信
■壁のうた (1969)
 詩/斎藤憐
■この害虫だけは (1971)
 詩/吉行理恵
■空に小鳥がいなくなった日 (1972)
 詩/谷川俊太郎
■告別 (1976)
 原詩/E・カストロ
 詩/林光
■はるかに愛する人へのうた (1978)
 詩/木島始
■ねがい (1982)
 詩/佐藤信
■花かざれ (1983)
 詩/佐藤信
■ゆっくりゆきちゃん (2003)
 詩/谷川俊太郎
■へんてこりんの歌 (2005)
 詩/まど・みちお
■くまさん (2011)
 詩/まど・みちお
■だれがこおりをとかすの (1980)
 詩/ レオ・レオニ / 訳/谷川俊太郎
■こどもとおとな (1991)
 詩/林光
■とだな (1992)
 詩/林光
■のびのび (1998)
 詩/林光
■星めぐりの歌 (1985)
 詩・作曲/宮澤賢治 編曲/林光
■あまのがわ (1986)
 詩/宮澤賢治
■すきとおってゆれているのは (1993)
詩/宮澤賢治

 

アンコール曲 
■春へのあこがれ
 詩/A..オーフェルベック 作曲/W.A.モーツアルト 訳詩/林光

 

♪とても盛りだくさんのプログラムとなりました。
光さんと私との出会いの曲(ほんとうの意味で!)でもある谷川俊太郎/詩、林光/作曲の「四つの夕暮の歌」は、どうしてもうたいたいと思い、入れさせていただきました。1959年のとても初期の歌曲なのですが、ほんとに「名曲」だなあ〜と思った次第です。
あらためて追悼の意味を込めてうたわせていただきました。

 

 

 

■2022年6月18日のニュース

 

トップページを更新したため、前回のページを記録として下記にコピーしました。

 

 

(写真/姫田蘭)

 

■厳しいコロナ禍のなかで、まことにありがとうございました。お出でいただいたみなさまには心から感謝しています。

 

当日プログラムを「最新ニュース(2022年2月24日付)に掲載しています。

 

■そのなかから3/26付で6曲をYouTubeにアップしました。

 

私家版DVDが3/25に完成しました。ご予約、ご注文いただいた方には随時送らせていただきます。

 

 

■2022年3月26日のニュース

 

私家版DVD「林光ソングをうたい継ぐ(6)」が昨日完成しました。姫田蘭さん、お忙しいなか、ありがとうございました。
いただいたDVDより、「YouTube配信」メニューに、本日付で急ぎ6曲をアップしました。
コンサート全体は26曲で構成されていますが、円熟さに加え、音楽的な試みをさらに模索していた晩年の光さんの音楽に、この機会にぜひ触れていただければと思います。

 

■2022年3月22日のニュース

 

竹田恵子「林光ソングをうたい継ぐ(6)〜林の光(2000年代〜林光没後10年に」)私家版DVDのデザインは下記の形となります。完成は4月のはじめになると思いますが、予約された方には出来次第お送りいたします。
 ご希望の方は「お問い合わせ・ご感想及びチケット・DVDのお申込み」メニューからお申し付けください。

 

 私家版DVDを案内する手紙に、アンコールのオペラ「三人姉妹」について触れました。下記の文章は、その後の情報で3月9日に書いたものにほんの少しだけ追加しています。とても驚いた出来事だったので、あらためて今回、3月22日付で再録しておきます。

 

 コンサートを終えてとても驚いたことがあります。
 翌日の2月24日に、ロシア軍によるウクライナへの武力侵攻が行われたことです。
 ニュースを見るたび、あまりの惨状と、戦争がもたらす悲しみと痛みと怒りで身体がおののくばかりで、早期の終結をどうしたらいいのか、人々の思いを見てしまうと、うまく言葉にすることができません。
「アンコール」で私は、オペラ「三人姉妹」の終曲を取り上げました。そして「いま」という時代の空気とどこか重なっているように感じる、とそのとき話しました。それはほんとうに実感でした。オペラの初演で次女のマーシャを演じたのですが、音符を追うのに懸命で、当時は終幕について深く考えることはありませんでした。今回コンサートが終わって初めて「ウインター・オン・ファイアー〜ウクライナ 自由への闘い」というドキュメンタリー映画を観たのですが、2013年〜2014年に治安部隊の激しい暴力にさらされ虐殺されながら、自由を求め、EU加盟への約束を反故にされた人々は、63日間を激しく闘いました。自由の抑圧者でもあり親ロシア派でもあったヤヌコーヴィチ大統領は国外へ逃れ、人々は闘いに勝利します。なんと大統領の辞任が決定したその日が「2月22日」。そして今回ロシアが武力侵攻を行ったのが「2月24日」。それはたぶん時間を超えて出来事が「対」になっているんだと思います。のちに、事はそれほど単純ではないこと(ウクライナの軍拡やアメリカがNATOで果たした役割など)を知りますが、そのふたつの日付の空白に、私の「2月23日」のコンサートがあり、「三人姉妹」が置かれることになりました。意図したことではないこの偶然に驚くとともに、何かとても因縁のような、不思議な気がしています。なぜならずいぶん後になって、光さんが「チェーホフ研究会」の講座で終幕に登場する「軍楽隊のうた」について語っているのを知ったことが、今回の取り組みの大きな理由でした。これはやはり、どこか「戦争の影」を光さんは予感していたのだと思います。なぜなら2001年のこのあと、9.11のアメリカ同時多発テロがあり、その後イラク戦争があり、そして現在の世界の混乱へとつながっていくからです。
光さんにはぜひこの終幕を観ていただきたかったのですが、そんな「アンコール曲」も含んだコンサートとなりました。このシリーズの最後、光さんの円熟の「うた」たちです。だからとても難しく、全体としては不出来なところも多くあるのですが、シリーズの最後を締めるコンサートとして、何とかやり切れたのではないかと思っています。
 「うたい継ぐ(6)」のDVDは現在制作中ですので、もしご希望があれば出来次第お送りいたします。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

       竹田恵子 (2022年3月22日)

 

 

■2022年2月26日のニュース

 

 当日配布したプログラムに「誤り」がありましたので、訂正します。
「空があんまり光れば」のプログラムノートに「シューベルトの<冬の旅>からの引用」を記載しましたが、これは次曲「犬」の間違いでした。気づかず見落としていて申し訳ありませんでした。
 一昨日からの「ウクライナ」のニュースに接し、歴史の繰り返しに気持ちが落ち込む日々です。アンコールでオペラ「三人姉妹」の終曲を取り上げましたが、私なりに「いま」の問題として問いかけたことが、まさか翌日、こんな形でみせつけられるとは・・・・。

 

 

■2022年2月24日のニュース

 

「当日プログラム」をこちらに掲載しておきます。

 

竹田恵子「林光ソングをうたい継ぐ(6)〜林の光(2000年代〜林光没後10年に」)

 

うた:竹田恵子
ピアノ:大坪夕美

 

とき:2022年2月23日(水・祝) 14時半開演 (開場14時)
会場:トッパンホール
企画・制作 竹田恵子
制作協力 池田逸子 姫田蘭 織田和夫
舞台監督 武石創太郎
録画撮影 姫田蘭
協力オペラシアターこんにゃく座
特別ゲスト(当日発表となりました!) 山田百子(ヴァイオリン)

 

 

■竹田恵子のごあいさつ>

 

コロナがもたらしたものでひとつだけ良いことがあるとすれば、社会の脆さが、より可視化されたことかもしれません。新自由主義やグローバル資本主義に対してだけでなく、大本の「資本主義」そのものに対しても、ようやく根本的な見直しが必要との声が聞かれるようになってきました。
 1950年代からの光さんのソングをうたってきて思うことは、光さんは、一貫して支配する力への抵抗、あるいは対抗運動として、数々のソングを生み出しつづけてきたのではないか。
最近思うことは、「文化」とは何だろうということです。ほんらい文化とは、より開かれたパブリックなものであったはず。それが近頃とても曖昧になっているのではないか。文化とは、私たちの表現を支える足場であったはずです。しかし残念ながら、文化を生み出す力が、いまや資本の力を抜きにしては語れなくなっています。
 私たちが立っている「いま」「ここ」。そこで「うたう」ということ。光さんはたとえ古典であっても、いつもそこに基点を置いてソングを書いてきました。
直接的な抵抗の形にはみえなくても、2000年代に入っても、光さんは変わらずに闘いつづけています。円熟さと同時に、技巧的に少し形を変え(これが難しい!)、明るい歌、楽しい歌もまた同じだと。それこそが、いま、ここにある、「闘い」だと。
 最近思っていることを書きます。
 文化とは、足場が曖昧になった分、重なることのない「層」のように存在しているのではないか。光さんのソングは、ずっと資本の力に迎合することがなかった分、こうしてうたい続けてみると、「消費」で括られてしまう世界とは明らかに異質な形で、しかも多様さをもって、ひとつの大きな文化の層を形づくっています。
 うたい続けること。ソングを多くのひとに届けること。光さんの「音楽」が素晴らしいのは、その層へといつしか聴き手の身体を移行させ、曖昧模糊とした足場から私たちを離陸させることです。そして光さんによって選ばれたソングの「ことば」が素晴らしいのは、いくつもの「問いかけ」とともに、私たちの「いま」「ここ」を自分の力で認識できることです。そんな宝物のような力をもったソングたちを、私はこれからもぜひうたいつづけていこうと思っています。
 本日のご来場、心から感謝しています!

 

 

■2000年代の林光   池田逸子     

 

 前回のノートの最後に私は、林光の1990年代を「豊穣の円熟期」と書いた。2000年代(2000年から2011年まで。年齢で言うと、10月生まれなので68歳から79歳)も、その延長上にある。その「円熟期」の只中で、林光は新たな試みもしていた。「円熟」(ましてや「老練」など)に充足せず、それに逆らうかのような新たな表現の試み。円熟の深化と新たな試み(あるいは、その共存)が2000年代の林光作品を特徴づけている。
 「円熟」の顕著な例は、合唱曲「原爆小景」(詞・原民喜)の完結版(2001)だろう。1958年に第1章を、1971年に第2、第3章を作曲。終章「永遠のみどり」は作曲されないまま「完成」し、林光の代表作と周知されてきたのだが、作曲者は「永遠のみどり」に執着しつづける。そして30年の後、「永遠のみどり」を核の恐怖のない世界を望む死者たちと残された者たちの祈りの歌として書き上げ、「原爆小景」は完結した。長い時の経過による作風の変化を含みながらも統一感を欠くことなく、詩人が全身全霊で刻んだ言葉に見合う音楽を実現させたのは、林光の非凡な創造力と熟練の技。これぞ「円熟」である。
 与謝蕪村の詩(俳句ではない)によるテノール独唱とオーケストラのための「北寿老仙をいたむ」は、蕪村の詩の新しさに感銘した林光が自発的に作曲した小カンタータ(2009)。沖縄(琉球)旋法を周到に練りあげた書法や、「極北」と言えるほどに凝縮したシンプルなオーケストレーションは、やはり「円熟」のなせる技だ。他界した翌年の夏、セントラル愛知交響楽団(斎藤一郎指揮)が名古屋で初演した。
 新たな試みはメロディーやハーモニーの書き方に目立って認められる。たとえば、独奏ヴァイオリンのための「ソナタ」(1999〜2004)の第1楽章テーマとその展開の仕方。かなり変則的なソナタ形式で、テーマは植物が成長するように自由に拡張し変容しつづける。ヴィオラ・ソナタ「プロセス」(2002)も作曲者の関心は「自由な様式のなかで、主題が変貌する細部に」(プログラムノート)向いており、ヴィオラとピアノの音の重ね方も、晦渋な響きに傾きがちだ。こういった試みは管(弦)楽器の「ソナタ」や「ソナチネ」などの器楽曲だけでなく、ソングや合唱曲(劇)、オペラ等にも認めることができる。
 たとえば、さまざまな出自の自作ソングの女性合唱版再作曲(2007−2009)。20曲近くあるが、聴き慣れた元歌や旧作の合唱版とは異なる不協和な和音の使用、技巧的な(弾きにくい)ピアノ・パートへの変貌(「元歌を知るひとが目をむくばかりの<再作曲>」と本人も記している)、大作曲家の超名曲を茶目っ気たっぷりに引用する(引用は新しい試みではないが)など、興味は尽きない。オペラ「そしてみんなうそをついた」(2008、芥川龍之介「藪の中」による林光台本)では、林光が従来から強い関心を寄せる義太夫三味線を初めて楽器編成に組み入れ、持論の「語るように歌う」が、「歌うように語る」と往来し交錯する。日本オペラへの挑戦。あるいは、これも「円熟」のなせる技か。
 長崎で被爆した歌人・竹山広の短歌による、合唱、ヴァイオリン、ピアノのための「とこしへの川」(2005〜2007)は、ぶつかり合い軋(きし)む険しく激しい音で始まる。被爆の記憶とともに、「日常」を詠んだ数首も織り込んだこの曲には、険しさだけではない、さまざまな想いも表現されているのだが、最後に冒頭の激しい音が回帰して、歌人の忘れえぬ心の奥底に迫る。新たな試みは「円熟」をさらに深化させている。
林光の2000年代のメモからは第4交響曲の作曲プランがいくつも見つかっている。10枚ほどのスケッチもあった。新たな試みも辞さず、書く気、満々だったにちがいない。

 

 

<プログラム>

 

■ハイダの子守唄 (2000)
 詩・北米先住民ハイダ族伝承詩より
 訳・金関寿夫

  ハイダ族はカナダからアラスカにまたがる北西海岸部の先住民族。ユネスコ世界遺産にも登録されている聖地スカン・グアイには、朽ちた巨大なトーテムポールが立ち並び、クマ、オオカミ、ワシなどの動物と人間が刻まれている。山形の「合唱団じやがいも」の委嘱作品「地の歌 風の歌」のために書かれた。友情出演した竹田恵子が初演。「どこから落っこちたの?」は「どこからここへやってきたの?」の意。

 

■この娘(こ)は摘みます野いばらを(子守唄) (2011)
 詩・北米先住民チムシアン族伝承詩より
 訳・金関寿夫 

 チムシアン族も同じく太平洋岸北西部の先住民族。第56回音楽教育の会全国大会にて、林光(歌)と通崎睦美(木琴)で初演。

 

■へんてこりんの歌 (2005)
 詩・まど・みちお 
 まどさんには「へんてこりん」という詩もあり、「へんてこりん」は「へんてこ」がつけている大事なすず、「へんてこ」は「へんて」のひとり子、「へんて」は「へん」が一ぽんだけもってる手、「へん」は柄のとれた「えへん」のことだ等とうたっている。最後に、「だから それで? いや べつに」。京都音楽教育の会・つめ草音楽会にて、参加者(歌)と林光(ピアノ)で初演。以下の3曲も同じ。

 

■くまさん (2011)
 詩・まど・みちお 
 童謡集「ぞうさん」に所収。

 

■いいこ (2007)
 詩・谷川俊太郎 
 詩集「わらべうた続」に所収。

 

■ありんこ (2004)
 詩・谷川俊太郎 
 まどさんも「アリ」の歌を多く書いているが、アリをみつめ思わずハッとし、自分と向き合ってしまうまどさんと比較すると、このふたりの視線の違いはおもしろい。

 

■ゆっくりゆきちゃん (2003)
 詩・谷川俊太郎 
 京都音楽教育の会・こどもとつくる音楽会にて、参加者(歌)と林光(ピアノ)で初演。

 

■いちにんまえ (2005)
 詩・A.A.ミルン 訳/小田島雄志・若子 
 「クリストファー・ロビンのうた」より。京都音楽教育の会・つめ草音楽会にて、参加者(歌)と林光(ピアノ)で初演。

 

■ふたりはいつも (2003)
 詩・林光 (「こどものたたかい」より) 
 第48回音楽教育全国大会(東京)にて、参加者(歌)と林光(ピアノ)で初演。

 

■じゅうねんたったら (2005)
 詩・林光 (「こどものたたかい」より) 
 シリーズ12曲中の最後の曲。初演は現段階で不明。
 (追記/詩のなかに「広島弁」が使われていることから、おそらく2005年に広島で音楽教育の会全国大会が開かれており、そこで演奏されたものと思われる。)

 

■二月の街 (2000)
 詩・与謝野晶子 
 オペラシアターこんにゃく座公演「注文の多い歌劇場・三」のために作曲。初演は竹田恵子(うた)、林光(鍵盤ハーモニカ)による。

 

■初春 (2010)
 詩・与謝野晶子 
 区の行政も呼応した「世田谷うたの広場」の歌づくり運動から生まれた作品。江間章子や芥川也寸志など、世田谷区在住の詩人、作曲家で構成される「詩と作曲の会」が発足。芥川亡きあと、林光が代表世話人を務めた。佐山真知子が初演。

■ぼくがここに (2006)
 詩・まど・みちお 
 こんにゃく座の青木美佐子へのバースデープレゼントとして。小学校の教材としても取り上げられている。

 

 

< 休 憩 (15分) >

 

 

■遊びをせんとや生まれけむ (2001)
 詩・「梁塵秘抄」より 
 平安末期に貴賤を問わず大流行した「今様」(はやり歌)を後白河法皇が編纂。その担い手は社会の底辺を生きる女性芸能者。魅力に取りつかれた後白河は、遊女や傀儡女(くぐつめ)を召して自ら習い、狂おしいまでの熱中ぶりであったという。次曲も同じく「畠中恵子ソプラノリサイタル2021」のために作曲された。初演ピアノはどちらも高橋悠治。

 

■茨(うばら)こきの下にこそ (2001)
 詩・「梁塵秘抄」より 
 茨の若木の下でイタチが笛を吹き、サルが舞い、バッタは面白がって拍子をとる。コオロギは、鉦鼓(しょうご)の名人だ、との意。同じく平安末期には「鳥獣人物戯画」絵巻があり、その甲巻にはウサギやカエルやサルがユーモラスに遊ぶ姿が擬人化されて描かれている。そこに同時代性が感じられる。

 

■水辺を去る (2000)
 詩・中野重治 
 第45回音楽教育の会全国大会(長崎)にて初演。林光(歌)、志村泉(ピアノ)による。

 

■夜の中を (2008)
 詩・「ヴァルター・ベンヤミン書簡」より 
 構成/林光 
 第一次大戦中にベルリン生まれのユダヤ人であるベンヤミンが友人のヘルベルト・ベルモーレに宛てた書簡による。ナチス政権後はパリに亡命、ドイツ軍の侵攻によりパリを逃れたが、リスボンから入国ビザを得たアメリカに逃れるためピレネー山脈を越え、スペインへの入国を試みた。しかし国境警察からフランスへ強制送還の旨を通告され、監視下のホテルで自死した。その際、彼が命よりも大切と語っていた原稿の入った鞄の行方は今もって分かっていない。東京演劇アンサンブルの劇「夜の空を翔ける」の音楽として作曲。オープニングに器楽曲(vn.acc.pf)としてのみ使用。歌の初演は、2015年の竹田恵子CD「いま歌いたいうた2015〜林光に捧ぐ」で、山田武彦(ピアノ)で録音。

 

■こんなあかるい穹窿と草を (2004)
 詩・宮澤賢治 「春と修羅」より 
 「一本木野」より抜粋。歌曲のスタイルで書かれた歌曲「続・歩行について」の5曲(以下4曲を含む)は、2004年7月の竹田恵子のコンサート「賢治歩く、たたずむ、飛行する」(ピアノは志村泉)のために作曲された。「歩行について」というタイトルは、賢治がノートと筆記具を持って山野を歩行する姿から取られている。なおこの「続」を書くにあたり、作曲者はさらに、「歩行」はまた「旅”Reise”」であり、「さすらい“Wanderrung”」であるとして、夭折した歌謡の王様シューベルトに思いを馳せている。

 

■空があんまり光れば (2004)
 詩・宮澤賢治 「春と修羅」より 
 「オホーツク挽歌」より抜粋。賢治は1923年の夏、農学校の教え子の就職依頼のために北海道からサハリンへ13日間の一人旅を行っている。そこでこの詩の草稿が書かれた。これは前年の11月に亡くなった妹とし子の魂の行方を追っての旅だったと言われている。
(注/「冬の旅」からの引用は配布した「当日プログラム」でこちらに誤って記載されていたが、次曲の「犬」に訂正。)

 

■犬 (2004)
 詩・宮澤賢治 「春と修羅」より 
 同じく「オホーツク挽歌」より抜粋。おそらく賢治が犬に吠えられたときの体験をもとにしている。一方賢治が書きつけた日付からは、この季節の夜明けには「おおいぬ座」と「こいぬ座」が東の空にのぼり、時間の経過とともに消えていく様と対応しており、星座からの物語と、そこからのヒントもあるのではないかとも言われる。作曲にはシューベルト「冬の旅」の第7曲「村にて」からの引用も。

 

■きみにならびて野にたてば (2004)
 詩・宮澤賢治  
 「文語詩稿五十篇」より。賢治は最晩年に死の1か月前になっても病床で文語詩の推敲と清書を行っていて、それまで賢治の詩にあった「私性」「個別性」からの脱却を図っていたのではないかとも。

 

■馬のひづめの痕が (2004)
 詩・宮澤賢治 「春と修羅」より 
 「オホーツク挽歌」より抜粋。

 

■音の虹 (2010)
 詩・林光 
 「ドレミファソラシ」の7音を7色に見立てて作られた作品。林光による虹の「ドレミの歌」か。第55回音楽教育の会全国大会(長崎)にて、参加者(うた)と志村泉(ピアノ)で初演。

 

■林の光 (2008)
 詩・谷川俊太郎 
 小学館発行の「林光の音楽」のために委嘱された。録音初演は谷篤(うた)、林光(ピアノ)。舞台初演は2011年10月、谷篤と寺嶋陸也。朝、昼、夜の林の様子がうたわれ、どこか光さんの人生と重なり、予見的。

 

*上記の各コメントは、池田逸子さん、東京音楽教育の会の情報および小学館発行『林光の音楽』などを参考に、その他関連情報を加え作成しました。

 

■アンコール曲  オペラ「三人姉妹」より終曲 (2001)
原作・アントン・チェーホフ 台本・山元清多
 大坪夕美のピアノに加え、ヴァイオリンの山田百子を特別ゲストに。影マイクは舞監の武石創太郎。アコーデオンは使わず、楽器の構成も原曲から若干変更した。

 

 

大坪夕美(おおつぼゆみ)/ピアノ

 

 東京生まれ。3歳よりピアノを始める。東京都立芸術高校ピアノ科卒業。高校在学中にピティナ・コンペティションF級で銅賞受賞。桐朋学園大学ピアノ科卒業。卒業した年にオーストリアのウィーンにてアルテン・ベルク・トリオに師事し室内楽を学ぶ。その後、スペインのマラガ・コンセルバトリオに入学。「マラガ若い音楽家達のコンクール」室内楽部門で2位、サンティアゴ・コンポステーラでの「スペイン国際音楽セミナー」でスペイン政府から奨学金を得る。アンドレス・セゴビア賞受賞。帰国後はオペラシアターこんにゃく座のピアニストをはじめ、8つの合唱団のピアニストとしても活動。室内楽、ソロ活動も行っており、さまざまなジャンルで活躍している。2019年5月、銀座王子ホールにてピアノリサイタルを開き、木下牧子作品を新作初演。好評を博す。

 

 

■2022年1月19日のニュース

 

昨日(1月18日)、レッスンや表方受付(なんと!)など含め、日頃お世話になっているピアニストの方たちが、2021年の私の「お疲れさん会」と「新年会」を私の自宅で開いてくださいました。言い出しっぺの湯田ちゃん(湯田亜希さん)に緊急の予定が入り、参加できなくなったのはほんと残念でした。
夜遅くまで大笑いし、大いに盛り上がりました。
ピアニストが幼少からどんな風に訓練してきたか、私のまるで知らない話を多く聞けて、とても楽しかったです。
「御木本メソッド」という指だけを対象とした訓練など、面白すぎてへえ〜と驚くばかり。訓練には功罪を含め、さまざまな問題もあるのだとは思いますが、「うた」と比較して「技術」のこととしてとても面白く聴いていました。
玲子ちゃんが昨日の写真をさっそく送ってくれました。
机の上にはまだ写っていませんが、このあとみんなが持ち寄ってくれたワインやチーズや手作りの煮物など、食べきれないほど多くが並びました。みんなが手にしているのは金粉入りのシャンパンで、ほんと美味しかったです!

 

 

写真は左から、武石玲子さん、井口真由子さん、平野義子さんです。
ほんとうにありがとうございました!

 

 

■2021年12月25日のニュース

 

劇団「おのまとぺ」(深澤昇&西村陽子)による宮澤賢治の新作オペラ「雪渡り&ツェねずみ」が、12月22日に名古屋で初演を迎えました。1987年生まれの名古屋在住の若い作曲家・中野健一さんによる作品です。ピアノは大坪夕美さん、演出は恵川智美さん。私は「音楽監修」で関わり、中野区教育委員会の後援、劇団「おのまとぺ」主催による「ヒラキヒミフェスティバル」として、昨日東京での公演も無事終えることができました。
名古屋公演の当日パンフに寄せた私のコメントを以下掲載しておきます。

 

■ひとりのなかの多様性   竹田恵子

 

劇団「おのまとぺ」の立ち上げ公演「シグナルとシグナレス」の当日パンフレットに、「西村の好奇心いっぱいのひたむきな激しさ、豊かな人生経験をもった大人な深澤」と書いた。
ふたりの1+1が3になるためには、それぞれ相手から引き出されたもうひとりの自分が加わらなければならない。ひとりのなかにある多様性。コンビのふたりの性格の違いが、それぞれに新たな自分を発見させてくれるはず。すると2+2、あるいは3+3になって、うまくすれば掛け算の3×3にさえも。
ふたりで決めた今回の新作オペラ2本という企画は、最初から目標が高すぎて無謀だったかもしれないと実は思っている。でも新しい試みには危険が付きもの。
「おのまとぺ」の擬態表現でいえば、積み重ねることで、「よろよろ」⇒「ばたばた」⇒「ぐんぐん」と、いつか自信をもって声に出せればいいね。

 

東京公演は、ようやく「ばたばた」を脱して、「ぐんぐん」に向う過程が見えて、とても良かったと思っています。
深澤くん、陽子さん、お疲れさまでした!

 

名古屋公演のパンフの表だけ貼っておきます。

 

 

 

 

■2021年12月23日のニュース

 

「竹田恵子 林光ソングをうたい継ぐ(6)〜林の光(2000年代)」〜林光没後10年に」コンサートのチラシをアップしました。
チケットの発売は2022年1月5日(水)からです。「お問い合わせ・ご感想及びチケットのお申し込み」メニューからのご注文も可能です。

 

 

■2021年11月1日のニュース

 

歌のあつまり「風」による、印牧真一郎メモリアルコンサート「飛ぶ橇を歌う〜アイヌ民族のために〜」Live動画が完成しました。竹田がコンサートの企画・制作に協力しています。撮影と編集はいつもご協力いただいている姫田蘭さん。毎回思うことですが、この映像をたったひとりで撮影・編集しているとは信じられません。すごいクォリティだと思います。
このコンサートは、歌の技術的な課題は別として、合唱のあらたな舞台づくりとしてとても参考になるのではないか。そんな風に思わせる、とても斬新なコンサートになったと思っています。
「合唱」を通じて、さまざまに関わっている皆さんにぜひ知っていただきたいと思い、このコンサートのダイジェスト版を作成し、「YouTube配信」メニューの最後のところに限定公開でアップしました。
ぜひご覧ください。

 

 

■2021年10月20日のニュース

 

■歌のあつまり「風」の企画制作「印牧真一郎メモリアルコンサート 飛ぶ橇を歌う〜アイヌ民族のために〜」を昨日(10月19日)無事終えることができました。ありがとうございました。特に本番前の三日間は、怒涛の日々でした。多くのお客さまにご来場いただき、ピアノの他に、サキソフォン、フルート、コントラバス、打楽器も入り、合唱のコンサートであまり見たことのない、豊かな音楽による印牧さんへの追悼になったと思います。いま、この時代だからこそ、小熊秀雄が指し示す強さと激しさの底の底にある明るさには、とても大きな意味があると思っています。
企画協力者として最後に舞台に上げられ挨拶させられたので、念願だった印牧さんの思いをかなえられた喜びとともに、次のようなことを話しました。
印牧さんの笑顔にはいつもどこか恥じらいがあり、その笑顔がとても好きだったこと。「音楽」にはとても大きな力があるということ。新作初演「飛ぶ橇」の行く先がとても明るい音楽で彩られたので、私自身が救われる思いがしたこと。「文化」にはいくつもの層があり、「音楽」が「飛ぶ橇」となって別の層に飛び、そこから「いま」をながめてみると、いまある空気の愚かしさに気付いたりしてしまうこと。
課題がいくつもあるとはいえ、とてもいいコンサートだったと思います。
私が仕事でいつも協力してもらっているピアニストの平野義子さんはこの日のピアニストとして。そして武石玲子さん、湯田亜希さん、井口真由子さんには、何と表方の受付を手伝っていただきました。
ほんとうにありがとうございました!

 

 

 

(姫田蘭氏撮影動画よりスクリーンショット)

 

 

 

■2021年9月7日のニュース

 

■歌のあつまり「風」の企画制作による「印牧真一郎メモリアルコンサート 飛ぶ橇を歌う〜アイヌ民族のために〜」のチラシを掲載しました。
このコンサートは、2017年に亡くなった歌のあつまり「風」の指揮者でもあった印牧真一郎さんが、困難ななかでも社会と向き合い続けた作家・詩人の小熊秀雄から大きな影響を受け、その合唱曲づくりにも積極的に関わってきました。本年は小熊秀雄生誕120年でもあり、こんな時代だからこそぜひ小熊秀雄を知っていただきたいと、印牧さんの意思を受け継ぎ、そのメモリアルコンサートを開催します。
「飛ぶ橇を歌う」は、小熊秀雄/詩、港大尋/台本・作曲、杉浦久幸/構成・演出による新作初演となります。
私(竹田)もこのコンサートの立ち上げから、企画協力者として関わっており、ぜひ観ていただきたいと思いご紹介させていただきました。
なおチケットの入手は竹田経由でも受け付けております。その際はFAX⇒045(902)9205かEmail⇒ keiko12years@yahoo.co.jp 竹田恵子宛でお申し込みください。竹田が手配し、お振り込み案内とともに、チケットをお送りいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

■2021年8月29日のニュース

 

       

 

「林光ソングをうたい継ぐ(5)」「私家版LiveDVD」が本日完成しました。予定より遅れてしまいご心配をおかけしました。おかげさまで多くの方のご協力をいただき、あらためてお礼を申し上げます。
製作のためのカンパをいただいた方には、本日付けでお礼のDVDを発送いたします。ご感想などいただければありがたいです。
なお手持ちの枚数がまだ残っていますので、ご興味ある方は、「お問い合わせ・ご感想及びチケット・DVDのお申し込み」メニューからお申し込みください。
どうぞよろしくお願いします。

 

 

■2021年8月21日のニュース

 

 

 

8月20日(土)に「こんにゃく体操とうたの会」主催による「いま、うたたちの集い・Part16」の無料公演を開催しました。
コロナ対策上、客席制限が必要なため、特に宣伝は行わず、出演者が各1名を招待するという、極めて限定したなかでの公演となりました。
宮澤賢治/原作、林光/台本・作曲による抒情幻想劇「ひのきとひなげし」29人のうたたちの集い
<うたの数だけ「ひと」がみえる>は会ののキャッチフレーズですが、それぞれの歴史を背負った「いま」が、さまざまな「うた」の形となって表現され、とても楽しい会となりました。

 

■2021年8月8日のニュース
 「林光ソングをうたい継ぐ(5)」コンサートの「私家版LiveDVD」の製作を進めています。
 今回のコンサートもまたコロナ禍のため客席制限が必要で、いつものような電話による声がけもまったくしませんでした。前回は文化庁による支援金もありましたが、今回は自力で対応せざるを得ず、収支的には大変厳しい結果となりました。
 姫田蘭さん撮影・編集の「私家版LiveDVD」は、8月20日を目途に現在製作中です(追記/プリント機器にトラブルがあり、完成が少し遅れます。ご了承ください)。コロナの不安で足を運べなかったという方や、遠方で来れないという方に、ぜひご覧いただければと思います。

 お申し込みは「お問い合わせ・ご感想及びチケット・DVDのお申込み」メニューをご覧ください。

 

 なおこのコンサートのから、6曲を選曲しYouTubeにアップしました。「YouTube配信」メニューでご覧ください。

 

 

■2021年7月28日のニュース

 

7/24の「林光ソングをうたい継ぐ(5)」コンサートをおかげさまで無事終えることができました。
以下「当日プログラム」の内容をこちらに掲載しておきます。

 

 

 

竹田恵子

「林光ソングをうたい継ぐ(5)

〜ほんとうの空へ(1990年代)

うた:竹田恵子

ピアノ:井口真由子

とき:2021年7月24日(土) 14時半開演 (開場14時)

会場:トッパンホール

企画・制作 竹田恵子


制作協力 池田逸子 姫田蘭 織田和夫

協力 オペラシアターこんにゃく座

 

 

ごあいさつ

竹田恵子

 

コンサート案内の手紙に次のように書きました。
コロナに翻弄されつづけたこの1年余り。しかし「不要不急」という言葉によって、音楽の「現場」とは何なのか、そのことを身をもって、強く考えさせられました。
うたうことはただの慰めではありません。生きること。それはつねに「現場」を必要とし、そこに人々が存在します。その繋がりのなかにうたがあるということ。うたうこと、音楽がこれほど必要だということ。コロナ禍が象徴して見せつけたものは、政治を含めた世界の劣化。それは私たちの現場にそのままはね返ってきます。だから「うた」が生まれ、それは私たちの抵抗でもあるのだと思います。もし光さんがいまここにいらしたら、さまざまな形で「うた」を発信しつづけたことでしょう。そのときソングの色合いはどんなものになるのか。1950年代の林光、1960年代の林光、1960年代の林光、1970年代の林光・・・・。年代毎に光さんの現場とのかかわりがみえてきます。
うたは人々の繋がりをもたらします。だから
1990年代の光さんのソングは、2021年の私にとってのソング。ソングは現在だけを表すのではありません。過去との繋がりによってもまた、現在がそこに反映されます。
今回のプログラムをどんな風に受け取っていただけるか、とても楽しみです。「優しい感じのうたが多かったね」と言っていただけるかもしれません。だとしたら、それもまた、私が考えるソングだからこその、抵抗なのだと思います。

 本日、客席制限をしながらも、おかげさまで再びうたの「現場」をもつことができました。皆さまには心から感謝です。
 今日のプログラムには、毎回そうですが、ソングというより歌曲のようなうたも含まれます。
「ほんとう」という言葉に「ひとり」という言葉が寄り添います。そして「ともだち」という言葉も。
私たちの感情の元の元の出どころ。フェィクではない、私たちの底の底にあるもの。
そんなことを考えながらのコンサートです。

 

 

1990年代の林光

池田逸子

 

弦楽四重奏曲「レゲンデ」は林光にとって80年代から90年代への架け橋となった。80年代の最後の年に着手し、翌年完成(完結版)したという文字通りの意味もあるが、架けた橋が第3交響曲「八月の正午に太陽は・・・」につながり、そこからさらに室内協奏曲「北方・南方」、ギター協奏曲「北の帆船」、ヴィオラ協奏曲「悲歌」・・・と、90年代の一連の注目すべき諸作品に及んでいったという意味でも。
弦楽四重奏曲のひとつぐらいは書いておきたいと考えていたときに舞い込んだ「レゲンデ」作曲のチャンス。自分の書いたすべての音楽(劇音楽、映画音楽から校歌、団体歌などまで)を、自己の「作品」として等しく認知した林光ではあるが、いわゆる「クラシック」作曲家が手がける「王道」的な楽曲(弦楽四重奏曲や交響曲や協奏曲など)をもっと書きたいという思い(あるいは衝動)は、長い作曲人生の折々に頭をもたげていた。だから時宜をえて上記のような作品を書くことには、並ならぬ意欲をもって(だが力みすぎを戒めながら)取り組んだのではなかろうか。
「レゲンデ」の終楽章には天安門事件の記憶が刻印されている。第3交響曲には同じく終楽章に文革(文化大革命)世代のベイ・ダオ(北島)の詩をテクストにした独唱を加えて、天安門事件につながる中国の「いま」を問う。さらには中国を、いわば象徴的な入り口にして、世界の「いま」を問う。「書きついできた一連の曲の到達点のよう」と自身記しているヴィオラ協奏曲「悲歌」の背景には、作曲当時の悲惨な出来事(阪神淡路大震災とオウム真理教事件)がある。「葬列」のようなリズムを刻む第二楽章からは、死者たちを悼む鎮魂の歌が紛れもなく伝わってくるのだが、それはまた、世界の無数の惨事の犠牲者たちを弔う音楽でもある。そのように個別から普遍へ転化させる意思は、内容的にも技法的にも沖縄とアイヌに光を当てた室内協奏曲「北方・南方」やギター協奏曲「北の帆船」においても同様だろう。日本の南北の辺境、沖縄とアイヌを通(透)して(入り口にして)拡がる世界に作曲家の意思は向かっている。
林光オペラの90年代は、著書『日本オペラの夢』の出版(1990)からサントリー音楽賞受賞記念公演<日本オペラの夢・林光オペラ・アンソロジー>(1999)までの10年間に当たるのだが、実りのある傑作をつぎつぎに生み出した。自作の劇音楽を下敷きにして、自身で台本まで書いた「森は生きている」をはじめ、「賢かった三人」(宮澤賢治原作、林光台本)、「変身」(カフカ原作、山元清多台本)、「吾輩は猫である」(夏目漱石原作、林光台本)、「鏡の森の物語」(山元清多台本)など。どの作品にも題材の時代性をこえた現代性(現代的な内容)がそなわり、「いま」を映す鏡としてのオペラとなっている。新たな創意や試みはさりげないが巧妙。こむずかしい手法で観客を眩惑させたりせず、愉しみながら芸能としてのオペラ作曲の道を切り拓き続ける林光の姿が、随所に垣間見える。
そのほか、合唱、合唱劇(「おまけの平和とさいごのなるほど」「君の受難曲」「ヴィヨン 笑う中世」「かしわばやしの夜」など)、そして本日歌われる曲をふくむ歌の数々。林光の1990年代、豊穣の円熟期をここで述べ尽くすなんて、到底出来やしない。

 

プログラム

 

■ほんとうの空へ (1993)
詩・佐藤信
1995年の第50回記念福島国民体育大会「友よほんとうの空に飛べ!」に向け依頼され、「福島国体賛歌」(混声四部合唱)として、選手宣誓後に林光指揮、県内高校生の合唱と福島県警察音楽隊によって演奏された。一大「国民大会」としての人々の一体感が求められるなか、「はばたくときはひとり」ということばが、何度も繰り返される。

 

■こどもとおとな (1991)
■せかさないで (1998)
■こどもと本(1991)  
■とだな (1992)
■のびのび (1998)

 

以上5曲、「こどものたたかい」より 
詩・林光 
この「こどものたたかい」シリーズは、1991年から2006年にかけて12曲が作曲された。1989年に国連で「子どもの権利条約」が採択されたが日本は応じず。ようやく批准したのが1994年。林光いわく、このシリーズはあとになってみれば「子どもの権利条約の精神を自分でかみ砕いて歌にした」という単純なものではなく、自分自身の子ども時代、娘との葛藤、そういうものが歌自体に流れこんでいるようにも思う、とも。

 

■がっこう (1992)
詩・林光
江戸川区立宇喜田小学校の創立十周年記念に依頼された作品。創立時には同校の校歌も作曲しており、最後の部分でそのメロディも引用されている。

 

■初夏 (1999)
 詩・与謝野晶子
中川保子のコンサートのために作曲。前年にオペラ「吾輩は猫である」で挿入曲「君死にたまふことなかれ」を作曲しているが、林光がソングとして与謝野晶子の詩につけた最初の歌でもある。

 

■ハコベのはな (1997)
詩・まど・みちお
春の七草のひとつでもあるハコベ。林光の作曲メモには「福岡市で作曲」とだけ書かれている。のちにうたう京都音楽教育の会主催の「こどもとつくる音楽会」での「ゆき」と同様、常に移動し、時と場所を選ばない自在な作曲家の姿がそこにある。

 

■ちょうちょうさん (1998)
詩・まど・みちお
京都音楽教育の会主催の「こどもとつくる音楽会」のために作曲。

 

■つまさききらきら (1991)
詩・A.A.ミルン 訳・小田島雄志/若子
A.A.ミルンはイギリスの児童文学作家で「くまのプーさん」の作者。この詩は彼の詩集「クリストファー・ロビンの詩」から取られている。

 

■わらび (1992)
詩・林光 (「万葉集」による)
万葉集の「いわばしる」を現代語にリライトし作曲。

 

■いわばしる (1992)
詩・志貴皇子 (万葉集巻八)
「わらび」の原詩で斎藤茂吉は「万葉集中の傑作の一つ」と評価している。

 

■あめのうみに (1992)
作者不詳 (万葉集巻七)
 同じく万葉集より。八ヶ岳高原音楽堂で行われた地元の小中高生のためのコンサートでこんにゃく座の梅村博美と萩京子が初演。

 

月の船の歌 (1991)
詩・林光 (「万葉集」による)
「あめのうみに」を現代語に訳し作曲。京都「こどもとつくる音楽会」で初演。

 

< 休 憩 (15分) >

 

■序詞 (1996) (「注文の多い料理店」序)
詩・宮澤賢治
1996年にオペラシアターこんにゃく座が行った2度目の宮澤賢治コンサート「イハートーブ大音楽会」のための序曲。ピアノではなく、クラリネットとチェロによる合唱曲として作曲された。

 

■おきなぐさ (1995)
詩・宮澤賢治
「春と修羅」から。宮澤賢治詩による歌曲集「歩行について」のなかの1曲。「現代の音楽展’95」で伊藤叔が初演した。

 

■向うも春の (1994)
詩・宮澤賢治
「春と修羅」(第二集)の「春」より。濱崎加代子リサイタルのために作曲。

 

■グランド電柱 (1991)
詩・宮澤賢治
「春と修羅」から。生活クラブ生協・神奈川支部のイヴェントで初演。「グランド電柱」は賢治の造語。グランドとは大きさを示す「グランド(grand)」の意味。例えば「グランドピアノ」。一方日本では「地面」(ground)のことを「グランド」と発音することもある。例えば「学校のグランド」。その地面の上に、まるで根を張ったように立つ木製の電柱たち。その連なりは童話「月夜のでんしんばしら」ではドッテテ、ドッテテと隊列を組んで歩いたりもする。そしてこの詩に登場する「碍子」という絶縁体を合わせて考えると、この日は、雲と雨に加え少し前には遠くで雷(つまりエレキ)の発生もあったのではないか(と考えてみるのも面白い)。天と地の繋がり。花巻の田園風景のなか、雀たちの生き生きとした生態が、収穫を前にした人々の生活感とともに明るく描かれている。「電気」を科学として、ひとつのキーワードにすると、暮らしのなかでは「雷の多い年は豊作」という言い伝えがあり、いまは窒素酸化物の増加が雷に関係していることが分かっている。宮澤賢治は農学校の教鞭で、注連縄(しめなわ)の本体は雲、〆の子(細く垂れ下がっている藁)は雨、紙垂れは雷(稲妻)であることを生徒たちに教えていたという。

 

*追記/賢治研究者の栗原敦さんから、コンサート後に丁寧なお手紙をいただき、「グラント電柱」のあった花巻第三叉路には、明治後期に豊沢川の水力発電により花巻にも電灯の普及が始まり、街なかや街道に沿って電気を分岐し配線するための大きな電柱(電力柱)が実際にあったとのことです。賢治はそれを「グランド電柱」と名付け、なので地面の「グランド」とは直接的にはおそらく無関係だと思います。MC中、ひとつの妄想として語っていますが、電気通信のための電信柱には確かに丈の高くないものが多かったとのことでした。以上、教えていただきありがとうございました。

 

■すきとおるものが一列 (1994)
詩・宮澤賢治
「春と修羅」の「小岩井農場」(パート四)より抜粋。テレビドラマ「鬼ユリ校長、走る!」のテーマソング。林光のピアノにより竹田恵子が録音。舞台初演は2004年の竹田恵子コンサートで、ピアノは志村泉。

 

■すきとおってゆれているのは (1993)
詩・宮澤賢治
宮澤賢治詩による歌曲集「歩行について」からの1曲。こんにゃく座公演「ケンジのエノケン/私の青空」で川鍋節雄が初演。

 

■歌うな (1992)
詩・中野重治
「中野重治研究と講演の会」委嘱。明治学院大学で竹田恵子(うた)、林光(ピアノ)により初演された。中野のこの「歌」という詩は、1926年9月の同人誌「驢馬」が初出。のちに「中野重治詩集」に収録されたが、製本中に警察によって押収され禁止に。戦後になってはじめて完全な形で発行された。赤ままの花やとんぼの羽根を「歌うな」という意味を、林はあえて題名を変え、詩を再構成することで問いかけている。

 

■道行 (オラトリオ『君の受難曲』より) (1994)
詩・佐藤信
栗山文昭率いる合唱団コーロ・カロスのために書かれた。バッハの「マタイ受難曲」をイメージ。今を生きる私たちに背中合わせにキリストを重ね、歴史の当事者である私たちに問いかける。9曲からなる大作の8曲目。2013年に座・高円寺での林光追悼コンサート「花のうた〜林光+佐藤信<うた>たちのカバレット」で竹田恵子がソロ演奏した。

 

■けむり (1999)
詩・B.ブレヒト
訳・長谷川四郎

竹田恵子リサイタルに贈る歌として作曲された。初演のうたは林光が。ブレヒトが1953年夏に一気に書いたという23編の小詩集「ブッコウ哀歌」のうちの一遍。ブレヒトは戦後亡命先のアメリカからチューリッヒでの1年を経由し、その後東ベルリンへと帰還する。ヘレーネ・ヴァイゲルとともにベルリーナー・アンサンブルを結成するが、ベルリン郊外のブッコウの湖畔にはブレヒトの別荘があり、週末にはたびたび訪れていたという。

 

■ゆき (1994)
詩・林光
前述の京都「こどもとつくる音楽会」にて初演。光さんは毎回新しい歌を1曲携えての登場となるが、これは京都市内の岡崎公園で作曲されたとのこと。

 

■<反歌>ゆき (2013)
曲・高橋悠治
今回特別のプログラム。2012年に「歌のあつまり風」で合唱曲として初演されたものを基に、サロン・テッセラが主催する「テッセラの秋・第13回音楽祭「高橋悠治の耳・第3夜〜林光に〜」コンサートで、新たな作品として竹田恵子が初演。林光にささげられた。ピアノは高橋悠治。林光の詩そのままの返歌(かえしうた)となっている。

 

なお、アンコール曲は
■さっきのつや消しの (1995)
詩・宮澤賢治
となりました。

 

*上記の各コメントは、一ツ橋書房刊「林光・歌の本(全4冊)」、小学館発行『林光の音楽』を中心に、その他関連情報を加え作成しました。

 

 

★ピアノ/井口真由子(いぐちまゆこ)さんのプロフィール
桐朋学園大学卒、同大学研究科修了。ハクジュホール(キース・ジャレットのケルンコンサートを再現)や札幌コンサートホールキタラ(Standard and the Beyondと銘打ったシリーズなど)全国各地でのソロ公演のほか、アレクセイ・トカレフ(Tp)、花岡浩司(Dance)、福田進一(Gt)ら名手との共演や、パリギャルド・レプビュリケーヌ吹奏楽団、山形交響楽団(広上淳一)、群馬交響楽団(工藤俊幸)、札幌交響楽団(高関健)、NHK交響楽団(ウラジーミル・アシュケナージ)などとの共演も多い。08年JTB「12人の旅、12人のニッポン」にピアニストとして登場。ニューエージグループ「アコースティックカフェ」のメンバーとして韓国ツアーやにっぽん丸クルーズ公演に出演。0歳からの子供向け公演を始動、東京・名古屋・北海道にて公演開催。現在はソロのほか日本を代表するパンフルート奏者岩田英憲トリオのメンバー、オペラシアターこんにゃく座の楽士として活動中。

 

 

 

■2021年7月12日のニュー

 

7/24のコンサートは予定通り行います。
■7/12に東京都に緊急事態宣言が再発令されましたが、宣言に伴う要請は「各イベントにつき上限5,000人かつ収容率50%以下」となっています。会場のトッパンホールからは「21時までを目安にガイドラインに沿って通常営業を行う」との連絡を受けました。なので前回同様、独自に客席数を制限した上で、予定通りコンサートを行います。なお竹田は2回のワクチン接種をすでに打ち終わりましたが、心配した副反応は特に大きなものではなく、ホッとしました。これからコンサートの追い込みに入ります。感染者数の増加がつづき、デルタ株への変容など気が抜けない毎日ですが、どうぞみなさまも日々ご自愛ください。

 

 

 

■2021年6月3日のニュース

 

トップページを更新し、「竹田恵子 林光ソングをうたい継ぐ(5)〜ほんとうの空へ(1990年代)」のチラシをアップしました。
チケットの発売は6月5日(土)からです。「お問い合わせ・ご感想及びチケットのお申し込み」メニューからのご注文も可能です。

 

 

 

■2021年5月15日のニュース

 

 

「ものがたりグループ☆ポランの会」/TTAO滑O山正建築士事務所」企画・制作による6枚組「宮澤賢治『春と修羅』全詩・朗読CD」がこのたび発売されました。
私は「原体剣舞連」を頼まれ録音しています。賢治の弟さんの宮澤清六さんによる、賢治から直接聴いたという朗誦のようなソノシート録音があるのですが、その録音から採譜したものを基本としつつ、より自在な形で「歌唱」的朗読ができないか挑戦してみました。初めての取り組みでしたが、企画・制作の外山正さんによれば、そもそも賢治の詩の「原体剣舞連に」には古事記やユーカラ的な口承の伝統があるのではないかとのこと。今回の取り組みは、その「系統」におけるひとつのあらたな展開とも考えられると言っていただき、結果としてやってとても良かったと思っています。ご興味のある方にはぜひお聴きいただければ幸いです。
申し込みは下記のURLになります。

 

https://yamanekohai.thebase.in/
https://shop.polan1010.com/categories/3338809

 

 

 

■2021年4月3日のニュース

 

「林光ソングをうたい継ぐ(5)〜ほんとうの空へ」(1990年代)のコンサートの日程7月24日変更しました。

 

 

[*5月20日に以下追記しました]

 

以下の通り、日程、会場を確定しました。

 

■とき:2021年7月24日(土) PM2時半開演
■会場:トッパンホール
■入場料(全席指定):4,000円(当日4,500円)

 

多くの日本オペラの創造に寄与してきた作曲家林光が、「歌」に関し、オペラのなかに積極的に取り入れ、かつ、もうひとつの柱としたのが「ソング」と名づけられた新たな形式の歌の創造です。「ソング」は時代そのものとも深く結びつき、詩と音楽を通してより多くの考えるキッカケを与えてくれます。2月11日の「林光ソングをうたい継ぐ(4)1980年代A〜モーッアルト讃歌」を無事終えたあと、再びコロナの感染が拡大する事態となりました。緊急事態の再宣言もあり、少し早めに日程は決めたものの、実際開催できるかどうかについて思案してきました。
検討の結果、東京都においては緊急事態宣言下にあっても劇場公演は可能となったため、以下の日程と会場について、正式に決定しましたのでお知らせいたします。現在は、表記のタイトルをもとにプログラムの最終調整に入っています。宮澤賢治の「春と修羅」からの歌曲的な楽曲も含めて考えています。
チラシ等が出来ましたら、あらためてご案内いたします。ぜひお出でくださいますようお願い申し上げます。

 

 

 

■2021年4月1日のニュース

 

2021年2月18日以前のニュースは「過去のニュース倉庫」に移行させました。

 

 

 

■2021年3月8日のニュース

 

「林光ソングをうたい継ぐ(5)〜ほんとうの空へ」(1990年代)のコンサート日程が確定しました。

 

と き:2021年7月31日(土)PM2時半開演
ところ:トッパンホール

 

いまのところ、

 

序詞(「注文の多い料理店)序) 宮澤賢治/詩
すきとおるものが一列 宮澤賢治/詩
初夏 与謝野晶子/詩 
ハコベのはな まどみちお/詩
月の船の歌 「万葉集」による 林光/詩
ほんとうの空へ 佐藤信/詩                    
断章三つ 木島始/詩
恋歌 狭野弟上娘子/詩 (万葉集巻十五)
夫婦 谷川俊太郎/詩
こどもとおとな 林光/詩 「こどものたたかい」より
朝に晩に読むために B.ブレヒト/詩 野村修/訳           
歌うな(《歌》による) 中野重治/詩  
・・・・他

 

などを予定(■追記/最終的には全体の構成とコンセプトを考え、かなり変更しました。)しています。

 

今後取り組んでみて、プログラムについては変わる可能性もありますが、5月末には正式なご案内を差し上げます。
ご興味のある方は、ぜひお早めに日程の手帳への書き込みをよろしくお願いいたします。

 

なお「林光ソングをうたい継ぐ」シリーズは、そのあとの「2000年代」で一旦終了します。
番外編として光さんのオペラからのなかのソングもやってほしいとの声もあるのですが、さて体力が・・・・??。

 

気が早いですが、どうぞご期待ください。

 

 

 

 

 

 

■2021年2月18日のニュース

 

「林光ソングをうたい継ぐ(4)」をYouTube配信しました!
「当日プログラム」の内容は、下記の「2月12日」のニュースに掲載してあります。
映像は「YouTube配信」メニュでご覧ください。

 

 

 

■2021年2月12日のニュース

 

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(撮影/姫田蘭)

 

無事コンサートを終えました。ありがとうございました。
コロナ禍のなか、ついに3度目の正直で「林光ソングをうたい継ぐ(4)」に辿り着くことができました。
多くの皆様からご感想のメールなどいただき、やってほんとうに良かったと思っています。
このシリーズは、渋谷の「ライブハウス」から今回クラシック音楽の殿堂「トッパンホール」へと場所を変えて、この場で私のソングがどのように成立するか、不安でもあり楽しみでもありました。
トッパンホールの快い協力もあり、おかげさまで新たな経験をさせてもらったと思っています。
今回は初めてYouTube配信にも取り組みました。どんな形で配信するかはまだ未定ですが、ぜひ実現し、お知らせできればと思っています。

 

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竹田恵子 ごあいさつ

 

コロナ禍のなか、足をお運びくださいまして、まことにありがとうございます。
昨年は人間の傲慢さを思い知らされた1年となりました。それはいまも続いています。
コロナは私たちの社会を炙り出します。
格差の拡大、貧困、そして人々の分断。
コロナを敵にして、自分たちの足元を見なければ、不安とともに、人災がこの社会にもたらしたものが見えなくなります。
前回(1980年代@)のプログラムで、新川和江さんの詩による「わたしを束ねないで」をうたいましたが、集まる場所すらいまは難しくなっています。だから今日はすごく嬉しい。コロナに打ち克つために、自由が制限され、結束ばかりが求められています。社会はさらに多様性を失いつつあります。そんななかで、うたの役割とは何か。うたの力とは何か。
光さんの「ソング」には、詩の選択だけではなく、曲もまたすごく多様性があります。ひとつの曲のなかにも多くの仕掛けが隠されていることもあるので、ふふん、恵子はそんな風に歌うのかと、うたの方から見透かされてしまう恐怖、そして面白さがあります。
ある方が、光さんのおっしゃったことを教えてくださいました。 「歌にすると、言葉で伝えるより丸ごとポカッと伝えられる。相手も思わず受け取ってしまう。そういう力が歌にはあるような気がする」と。
丸ごとポカッと。直線ではなく丸ごと。そこにはきっと、たくさんの多様性が埋められているのかもしれません。
今日の感想など、メール・FAXにてお寄せいただければとても嬉しいです。

 

1980年代の林光

 

池田逸子

 

「あたらしい道」、すなわち独自な作曲語法および作曲様式を確信した林光は、80年代(49〜59歳)にその道をさらに豊かに拡充していく。
世界は激しく動いていた。軍事政権下のラテン・アメリカ諸国、光州事件、自主労組「連帯」の旗を掲げるポーランドの闘い、そしてチェルノブイリ原発事故、天安門事件、ベルリンの壁崩壊など。このような時代の動きにすばやく呼応したり、あるいは一呼吸おいた、林光ならではの呼応の仕方で、多くのジャンルにわたる作品が書かれた。
重要な作品としては、まず宮澤賢治の童話による「セロ弾きのゴーシュ」。最初、独奏チェロと語り手(歌手)をともなう管弦楽曲として書かれ(1981)、5年後にオペラ版「ゴーシュ」(1986) が完成。賢治ものでは、その間に「銀河鉄道の夜」の劇音楽(1982)もある。「交響曲ト調」から32年ぶりに書かれた第2交響曲「さまざまな歌」(1985)も重要。これはピアノ協奏曲のかたちをとっているが、林光の主要なピアノ曲の多くが(「もどってきた日付」、第2ピアノソナタ「木々について」、「ワルシャヴィアンカ変奏曲」、「島こども歌2」、第3ピアノソナタ「新しい天使」など)この時期に書かれたこととも関連する。ピアノが重要な役目をする合唱曲も少なくない。90年代(豊穣の円熟期)への架け橋となったのが弦楽四重奏曲「レゲンデ」。
書き方は林光流多様式主義とも呼べる融通無碍な書法で、自作・他作の引用、あるいは自作の転用がいっそう顕著になる。自作・他作を新しい作品に引用することによって、それらは距離をおいた批評となり、新たな意味が付与され、複合的な性格を帯びてくる。もちろん引用はパロディとは限らない。たとえば、アイスラー・ソングの引用と模倣がてんこ盛りの「<ナチ>ニモマケズ」は決してシニカルな目線で書かれたのではなく、悪戯好きな林光による作曲家ハンス・アイスラーへのオマージュ、讃歌なのだ。
 沖縄の旋法や童歌の引用も顕著。新星日本交響楽団の運営委員長・池田鉄の葬儀で献奏された「やがてぼくらもひとつの音をききわける」や「ゴーシュ」、第2交響曲、「島こども歌2」、第2および第3ピアノソナタ等々で頻用され、林光の重要な語法となる。
また、合唱曲で16,7世紀イタリアのマドリガル・コメディに倣った多声部書法を意識的に用い始めるのも、この時期からである(「コメディア・インサラータ」など)。
これらの作品は林光が1980年代に精力的に展開した諸活動と直接・間接に連動して生まれた。たとえば、1980年に開始した「林光・東混 八月のまつり」。言い出しっぺが他界した現在も、「林光メモリアル」事業として継続している。また、保育士や音楽教員たちとともに群馬県藤岡市の保育園で開講(1980)した「みんなの音楽大学」。林光が講義をし、演奏し参加者と歌うこの「大学」は2011年まで(全142回)続いた。また、こんにゃく座との共働作業は無論のこと、高橋悠治ら水牛楽団との共演、教員たちと始めた「うたの学校」、山住正己らとの「国について歌についてコンサート」、黒色テント、こんにゃく座、水牛楽団による「敗戦コンサート」等々。こうした多彩な活動を作曲と切り離さず、その原動力の一部に吸収していったのが、林光。何という神業。

 

 

プログラム  

 

■モーツァルト讃歌 (1980)
詩・林光

 

1980年9月23日、足立区民コンサートで自作詩によるオーケストラ付きの四重唱曲として初演(竹田恵子、佐山真知子、松下武史、新田英開、新星日本交響楽団、林光指揮、足立区民会館)。独唱版もその際に完成。

 

■みちでバッタリ (1987)
詩・岡真史 

 

初演は藍川由美。林光いわく<詩集「ぼくは十二歳」をのこしてみずから命を絶った岡真史のこの初恋の詩がとらえた瞬間。ありふれた出会いに天地がひっくりかえってしまうさまは、シェークスピア以来変わらない>。

 

■二人が別れるとき (1987)
H.ハイネ・詩 高安国世・訳 

 

1987年東京室内歌劇場コンサート「林光ソングコレクション・さまざまな歌」で初演。ハイネの詩は「歌の本」所収「抒情的間奏曲」から。初演は、うた/林光、ピアノ/志村泉。

 

■あらしの歌 (1982)
詩・山元清多

 

1982年黒色テント68/71公演「比置野ジャンバラヤ」の劇中歌。初演は溶接工を演じた藤井智子によって歌われた。造船所の工場労働者を描いた社会劇で、山元の同戯曲は、この年の岸田國士戯曲賞を受賞。

 

■ギョウザの夢 (1983)
詩・加藤直

 

黒色テント68/71公演「アメリカ」の劇中歌。
革命家らしき中国女によってうたわれる歌。初演は金久美子。舞台はアメリカから日本に向かう貨物船。「アメリカ移民・写婚妻という日米交渉史の陰部に光をあて、アメリカ以上にアメリカンな現代日本の<虚構>を抉ってみせた」とは戯曲本の帯の言葉。ここではギョウザそのものが、形から類推すると、バシフィク・オーシャンに浮かぶひとつの船の比喩なのかもしれない。

 

■あたしのからだは・・・・ (1983)
詩・加藤直

 

 

同「アメリカ」の劇中歌。

 

■花かざれ (1983)
佐藤信・詩

 

黒色テント68/71公演「灰とダイヤモンド」の劇中歌。俳優座との提携公演で、初演はテントではなく俳優座にて演じられた。アンジェ・ワイダの映画のラストでゴミの山に辿り着き、もがいて死んでいくマチェックの姿がそこに重なっている。

 

■ばらを植えよう (1986)
 ポーランド古謡 工藤幸雄・訳

 

ポーランドの映画監督でもあるT.コンビィツキの小説「ポーランド・コンプレックス」から引用された古謡によるテキスト。名古屋青年合唱団のために作曲され、日本うたごえの祭典で初演された。

 

■ひとつ名前の兄弟の歌 (1981)
詩・林光

 

1981年10月7日、中央合唱団第10回定期演奏会のために作曲し初演(林光指揮、新宿文化センター大ホール)。同演奏会ではキラパジュンの「イキーケのサンタマリア」の全曲演奏(水牛楽団訳、林光指揮)がなされた。「イキーケのサンタマリア」はチリのフォルクローレ・グループ、キラパジュンが「新しい歌(ヌエバ・カンシオン)運動の中で、アジェンデ政権樹立の年(1970)に生み出した民衆カンタータで、この「ひとつの名前の・・・・」の歌詞にも、そのような背景を読み取ることができる。

 

■<ナチ>ニモマケズ(1987)
詩・林光

 

ブレヒトの協働者でもあったドイツの作曲家ハンス・アイスラーへの共感から、池田逸子の制作・構成による「アイスラー没後25年コンサート」のために作曲された。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のもじり。初演は歌/竹澤嘉明、ピアノ/志村泉。

 

 

< 休 憩 (20分) >

 

 

■太陽の旗 (1987)
詩・林光

 

写真報道誌「ひろば」に掲載。初演は関西合唱団による。リフレーンの「海で死んだら」以下の旋律と歌詞は、信時潔作曲の「海ゆかば」のもじ
りとなっている。

 

■わたしはたにがわのみず(怨詞) (1987)
詩・景翩翩 訳・花崎采?

 

明の時代の妓女による詩。父から薫陶を受け高い教養を身に付けたが、両親の死後貧しさのため妓楼に入り、才色兼備の妓女として有名だった。付き合う客は文人の客のみでその他は一切受け付けなかった。その後豪商の男に騙され妾となり、虐待を受け、若くして自死したという。

 

■我をたのめて来ぬ男 (1987)
「梁塵秘抄」による

 

後白河法皇が編纂した「梁塵秘抄」は、いまでいう流行歌「今様」を蒐集した歌謡集。歌や舞いを生業とした遊女たちの歌も多く含まれ、これもそのひとつ。

 

■忘れるな (1988)
詩・F.G.ロルカ 訳・長谷川四郎

 

ジプシー歌集「カンテ・ホンドの詩」から。ロルカの最も知られた詩のひとつでもある。「カンテ・ホンド」(深い歌)とは、苦しみや嘆きなど心の奥底から生まれ出る情感を歌うフラメンコ歌唱の一形式でもある。

 

■明日ともなれば (1986)
詩・F.G.ロルカ 訳・長谷川四郎

 

ロルカは、1936年のスペイン内戦でフランコ将軍に率いられたファシストたちに拉致され銃殺された。享年38歳。前身のソング「新しい歌」は、1981年に水牛楽団の水牛ミュージック・コンサート「カタルーニャ賛歌」でロルカの詩から一部を抜粋、作曲者自身によって歌われた。「明日ともなれば」は、1986年に合唱版としてタイトルを変え、全詩に作曲されたもの。

 

■木は空を (1987)
詩・林光

 

組曲「生命の木、空へ」〜合唱、児童合唱、ピアノ(または管弦楽)のための〜(1987〜1988)として書かれた全6曲のうち第1曲目。組曲は、広島、長崎の原爆が主たるテーマ。林光いわく<木のよみがえりに感動するより、木がどう生きるかを調べたかった>。子供たちの象徴でもある一本の木が閃光に焼かれたその瞬間に涙するのではなく、教育勅語などによって強制された時間こそが子供たちの精神の死をも招いたと作曲者は言う。だから戦後の墨塗り教科書は子供にとっての悲劇なのではなく、そうしたかつての残酷な時間からの蘇りであり、誇りであり、権利だと林光は書く。そして出版された楽譜の「あとがき」にさらに書く。いまに至っても、墨を塗らないではいられない教科書が与え続けられていることこそが、悲劇なのだと。

 

■アンコール曲「春へのあこがれ(モーツアルト/曲)」

 

以上

 

 過去のニュース倉庫
(撮影/姫田蘭)

 

 

 

■2021年1月30日のニュース

 

コンサートのご案内

 

タイトル/竹田恵子「林光ソングをうたい継ぐ(4)」
〜モーツァルト讃歌〜(1980年代A)

 

過去のニュース倉庫
(撮影/姫田蘭)
<1月28日のリハーサルの様子>

 

多くの日本オペラの創造に寄与してきた作曲家林光が、「歌」に関し、同時に柱としたのが「ソング」と名づけられた新たな形式の歌の創造です。従来の「歌曲」とは違い、「ソング」は時代そのものとも深く結びつき、詩と音楽を通してより多くの考えるキッカケを与えてくれます。今回は1980年代に作曲された作品(第2回目)で構成されます。

 

曲目/「モーツァルト讃歌」「あらしの歌」「ギョウザの夢」「花かざれ」「ばらを植えよう」「太陽の旗」「ひとつ名前の兄弟の歌」「<ナチ>ニモマケズ」「明日ともなれば」「木は空を」などを予定

 

うた/竹田恵子
ピアノ/平野義子

とき/2021年2月11日(木・祝) 14時半開演
ところ/トッパンホール
料金/4,000円(全指定席)

 

問い合わせ先/竹田恵子事務所 電話045-902-9205 Email keiko12years@yahoo.co.jp

 

*コロナ禍のため、ソーシャルデスタンス設置した客席で対応します。
 また出演者およびスタッフのPCR検査も実施して臨みます。

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